歴史を忘れる民族に未来はない!

帝国日本の人権抑圧、侵掠戦争、植民地支配を記憶し、再現を許さないために歴史否認ネット右翼のデマを潰す。姉妹ブログ「Ob-La-Di Облако 文庫」 https://obladioblako.hatenablog.com/

南京の武装解除された元兵士たちは戦時国際法に違反していないし、国際法違反なら投降拒否していいことにもならない。


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おつかいくまさん @Otsukaikumasan

ハーグ陸戦慣例規則には、投降受け入れ義務の条項がありますが、実は当時は規則以外にもいくつもの例外的な慣例がありました。
戦闘中は必ずしも投降を受け入れなくても良い
相手が背信行為(便衣兵等)を犯した場合や
食糧の欠乏など自軍の給養も困難なときも受け入れなくても良い
等です。

https://twitter.com/otsukaikumasan/status/1369487808637759492

 このツイッター·ユーザーはラサ·オッペンハイムの戦時国際法論(国際法論 第2巻 戦争と中立、1912年)を読んでいるふりをして下の様なツイートをしていたが、上のツイートではオッペンハイムを読んでいないのがバレバレだ。

おつかいくまさん @Otsukaikumasan

>その場で殺害したのではなくまず捕まえている。
「敵の戦争法規違反に対する報復として…投降を拒否することができる。」(オッペンハイム国際法Ⅱ 1913年版)
つまり敵が投降しても殺害し得るのだから、殺害のために一旦捕獲したとしても、捕虜にしたとは言えないのである。

https://twitter.com/otsukaikumasan/status/1364594452556210178

「おつかいくまさん」の主張はいくつかの点でオッペンハイムの主張と真っ向から対立する。

おつかいくまさん「実は当時は規則以外にもいくつもの例外的な慣例がありました。」

https://twitter.com/otsukaikumasan/status/1369487808637759492

オッペンハイム “the former rule is now obsolete according to which quarter could be refused to the garrison of a fortress carried by assault, to the defenders of an unfortified place against an attack of artillery, and to the weak garrison who obstinately and uselessly persevered in defending a fortified place against overwhelming enemy forces.”「以前の決まりによれば、襲撃を受けて陥落した要塞の守備隊や、無防備な陣地を砲撃から守備する部隊、圧倒的な敵の軍勢に対して防御陣地の執拗かつ無益な防衛にこだわる弱小な守備隊には助命を拒否してもよかったが、こうした決まりは今や過去のものとなった。」

https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2021/02/28/145217

おつかいくまさん「食糧の欠乏など自軍の給養も困難なときも受け入れなくても良い」

https://twitter.com/otsukaikumasan/status/1369487808637759492

オッペンハイム “But it must be emphasised that the mere fact that numerous prisoners cannot safely be guarded and fed by the captors does not furnish an exceptional case to the rule, provided that no vital danger to the captors is therein involve.”「強調しなければならないが、捕虜を取る側にとって致命的な危険がそこに含まれない限り、沢山の捕虜を捕まえても安全に警備し給養することができないという事情だけでは、この決まりの例外の事例とはならない。」

https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2021/02/28/145217

オッペンハイムがここで「この決まり」と言っているのは、ハーグ規則の第23条の(ハ)項、(ニ)項の禁止事項である。

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第23条 特別の条約を以て定めたる禁止の外、特に禁止するもの左の如し。

(ハ) 兵器を捨て又は自衛の手段尽きて降を乞へる敵兵を殺傷すること

(ニ) 助命せざるの宣言を為すこと

https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000018884

これを解説してオッペンハイムは次のように論ずる。

combatants may only be killed or wounded if they are able and willing to fight or to resist capture. Therefore, such combatants as are disabled by sickness or wounds may not be killed. Further, such combatants as lay down arms and surrender or do not resist being made prisoners may neither be killed nor wounded, but must be given quarter. 

戦闘員を殺傷してよいのは、彼らが戦うかまたは捕まらない様に抵抗する能力と意志を有している場合に限る。したがって病気や負傷によりその能力を失った戦闘員を殺害してはならない。さらにまた武器を地面に置いて降伏するか、囚われの身になることに抵抗しない戦闘員は、殺害も傷害もしてはならず、命を助けなければならない。

https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2021/02/28/145217

 歴史否認ネット右翼が「便意兵」とレッテルを張る元中国兵たちは、安全区内に入るときに国際委員会によって武装解除されており、積極的に投降の意思表示はしなかったものの、少なくとも「囚われの身になることに抵抗しな」かった。このような人たちを殺害することは、オッペンハイムによればハーグ規則違反であり、交戦法規慣例に反する。幕府山その他で大量に投降して帝国日本軍が一度受入れざるをえなかった中国兵たちも勿論、殺害してはいけない。どちらも捕虜として人道的に扱わなければならない。

 給養できないというだけの理由ではこの規則の例外として殺傷してよいことにはならないとオッペンハイムは言っているのに、「おつかいくまさん」は「食糧の欠乏など自軍の給養も困難なときも(投降を)受け入れなくても良い」などという私製「国際法」を振り回す。なぜだろうか。「おつかいくまさん」は「食糧の欠乏など自軍の給養も困難な」状況で捕虜を殺害した帝国日本軍を合法化したいのだろう。

 南京の帝国日本軍が一旦大量に投降を受け入れた捕虜を大量に殺害した主要な理由の一つは、各部隊が先陣を争って上海から南京まで補給を無視したがむしゃらな追撃戦を続けてきたため、現地略奪の食料で自分たちを養うのが精一杯で、この大量の捕虜を養う食料がなかったことだ。

●中新涇鎮出発以来、軍補給点の推進は師団の追撃前進に追随するを得ずして、上海付近より南京に至る約百里の間、ほとんど糧秣の補給を受くることなく、ほとんど現地物質のみにより追撃を敢行せり。(第9師団作戦経過の概要)

https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2021/02/27/134228

1937年12月14日

●捕虜の始末に困り、恰も発見せし上元門の学校に収容せし所、14,777名を得たり。斯く多くては殺すも生かすも困ったものなり。(山田旅団長日記)

https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2020/11/06/235437

●13D[第13師団]山田支隊の獲たる俘虜約二万あるも、食糧なく処置に困る。(上海派遣軍西原作戦課長の日誌、靖國偕行文庫 80975 390,281ニ,ニ 作戦日誌 12.8.11-13.2.18 上海派遣軍幕僚 西原一策)

https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2021/03/09/175824

●山田支隊の俘虜東部上元門附近に一万五、六千あり、尚増加の見込みと。依て取り敢へず16D[第16師団]に接収せしむ。(上海派遣軍飯沼参謀長日記、偕行社『南京戦史資料集 Ⅰ』p.158)

12月15日

●大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くることとなしたるも、千五千一万の群衆となれば之が武装を解除することすら出来ず…後に到りて知る処に依りて佐々木部隊丈にて処理せしもの約一万五千、太平門に於ける守備の一中隊が処理せしもの約1300、其の仙鶴門に終結したるもの約七、八千人あり、尚続々投降し来る。(中島第16師団長日記、偕行社『南京戦史資料集 Ⅰ』p.220)

●捕虜の始末他にて本間騎兵少尉を南京[第16師団]に派遣し連絡す。皆殺せとのことなり。各隊食料なく困却す。(山田旅団長日記)

12月16日

●相田中佐を[上海派遣]軍に派遣し、捕虜の始末其の他にて打合はせをなさしむ。(山田旅団長日記)

12月18日

●捕虜の始末にて隊は精一杯なり。江岸に之を視察す。(山田旅団長日記)

12月19日

●捕虜始末の為出発延期、午前総出にて努力せしむ。軍、師団より補給つき日本米を食す。《下痢す》(山田旅団長日記)

https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2020/11/06/235437

1938年7月13日

●中支戦場到着後、先遣の宮崎参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、杭州機関長萩原中佐等より聴取する所に依れば、従来、派遣軍第一線は給養困難を名として俘虜の多くは之を殺するの悪弊あり。南京攻略時に於て約四、五万に上る大殺戮、市民に対する掠奪·強姦多数ありしことは事実なるか如し。

(岡村寧次第11軍司令官陣中感想録)

 

 「おつかいくまさん」は「相手が背信行為(便衣兵等)を犯した場合…受け入れなくてよい」とも言うが、これはどうだろうか。「便衣兵」の定義がはっきりしないが、ハーグ「陸戦の法規慣例に関する規則」の第23条が禁ずる配信行為とは、

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(ロ) 敵の国民又は軍に属する者を欺罔の手段により殺傷すること

https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000018884

だから、この「便衣兵」が「私服狙撃者」と信夫淳平が規定する「便衣隊」を意味するのであれば、その「便衣兵」の狙撃による殺傷行為は交戦法規違反となる。

 ただし信夫淳平が「便衣隊」と呼んだのは、1932年第一次上海事変当時の「私服狙撃者」であり、

便衣とは平服といふに同じく、即ち一般市民と識別し難き服装にて本邦人の多数に居住する方面に潜入し、多くは民家に隠れて屋上又は窓戸より、稀には街路に於て、突如多くはピストルを放つて対手を狙撃するもので、彼等の中には学生あり、労働者あり、将た正規兵の変装せる者もあり、之を背後に操る者の中には、青幇と称する有力な団体もある。

信夫淳平『上海戦と国際法』より 第二項、便衣隊 1932 - Ob-La-Di Облако 文庫

 

というのが「便衣隊」だから、1937年12月の南京で武器も軍服も捨て、帝国日本軍に何ら抵抗しなかった人たちは無論これに該当しない。

 1937年の南京に1932年上海の「便衣隊=私服狙撃者」が現れた場合はどうなるだろうか。この場合、オッペンハイムの主張によれば、彼らは交戦法規に違反しているから国家的報復として彼らに助命を拒否してよいことになる。そのかぎりでは「おつかいくまさん」が「敵の戦争法規違反に対する報復として…投降を拒否することができる」という主張するのはオッペンハイムの主張に則していると言える。

However, the rule that quarter must be given has its exceptions. Although it has of late been a customary rule of International Law, and although the Hague Regulations now expressly stipulate by article 23 (d) that belligerents are prohibited from declaring that no quarter will be given, quarter may nevertheless be refused by way of reprisal for violations of the rules of warfare committed by the other side; and, further, in case of imperative necessity, when the granting of quarter would so encumber a force with prisoners that its own security would thereby be vitally imperilled.

しかしながら、命を助けなければならないという決まりには例外がある。近年それは国際法の慣習的な決まりになってきたけれども、また、ハーグ規則は今や第23条(イ)項において、交戦者が助命しないと宣告することを禁ずると明文化して約定しているけれども、敵側が犯した交戦法規違反に対する報復として助命を拒否することはやはりできる。さらに命を助けると捕虜を連れ歩くことが軍の行動を著しく妨げ、そのためその軍自身の安全が致命的に脅かされるという、絶対的な必要性がある場合もまたそうである。

https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2021/02/28/145217

交戦法規違反への報復の場合と、足手まといになって決定的に危険な場合との二つに限り助命拒否が許されるとオッペンハイムは主張する。「おつかいくまさん」の言う様に「いくつもの例外的な慣例がありました」のではなく、二つだけだ。問題は、この二つの例外規定がオッペンハイムの戦時国際法論が書かれた1912年の時点で、または南京暴虐事件のあった1937年の時点で国際的に同意された慣例だったかたどうかだ。

 ハーグ「陸戦法規及び慣例に関する規則」は1899年に当時の陸上戦闘に関する国際的に同意された慣例を明文化したものである。しかしこの規則は、繰り返しになるが、第23条(ハ)項、(ニ)項で

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(ハ) 兵器を捨て又は自衛の手段尽きて降を乞へる敵兵を殺傷すること

(ニ) 助命せざるの宣言を為すこと

https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000018884

を無条件に禁止しており、オッペンハイムが主張するような二つの例外規定は設けていない。したがって、1899年の戦時国際慣例にはそのような助命の例外規定はなかったと言える。

 ではその後1937年までに、そのような例外規定が国際的慣例となったのだろうか。だとすれは、1949年のジュネーヴ諸条約のなかで、そのような例外規定を設けるような変更がハーグ規則に加えられなければならない。しかしそのようなことは起こらなかった。よってオッペンハイムの主張する二つの例外規定は国際慣習法とはならなかった。それは彼の国際法論上の主張にとどまった。

 交戦法規違反の事実があれば捕虜にしてから軍法会議で裁き、罪に応じた系を化すればよいし、足手まといになるなら武装解除後、直ちに解放すればいいのだ。なにもそろを理由にして捕虜にする前に殺す必要はない。

 要するに、歴史否認ネット右翼が南京の「便衣兵」と呼ぶ人たち──武装解除された、あるいは自己武装解除した元兵士たち──は、オッペンハイムの主張する、戦争法規に違反しているために報復として助命を拒否してよい人たちには該当しないし、オッペンハイムの主張は戦時国際法の慣例ではなかった。「便衣兵(軍服を着ていないこと自体)は交戦法規違反だから報復として捕虜にせず殺害していい」という「おつかいくまさん」のヘイト·デマは二重に破綻している。