歴史を忘れる民族に未来はない!

帝国日本の人権抑圧、侵掠戦争、植民地支配を記憶し、再現を許さないために歴史否認ネット右翼のデマを潰す。姉妹ブログ「Ob-La-Di Облако 文庫」 https://obladioblako.hatenablog.com/

中国国民党軍兵士たちはだれによって武装解除され、安全地帯に入ったか?


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おつかいくまさん

@otsukaikumasan

紅卍会の許伝音は東京裁判で、安全区に侵入した中国兵は武装解除したと言うのだが、いったい何人の中国兵がいたのかも把握していないし、彼らを拘束したとも言っていない。
つまりほとんどの便衣兵は「中立国」に保護されていたわけでなく、中立地帯への侵入潜伏、つまり敵対行為を継続していた。

https://twitter.com/otsukaikumasan/status/1364107251343003649

 

 無知を肥やしに妄想の花を咲かせるのもいい加減にしてほしい。「おつかいくまさん」は頭の中で勝手に作った「便衣兵」物語の上に「国際法」を騙った私法理論を振りかざすのではなく、南京で何が起こったかを諸資料からまず知り、人権と人道の諸原則に基づいて、また国際的に通用する(つまり敵味方双方が納得できる)交戦法規の解釈によって事態を評価すべきだ。

 1937年12月の南京中立地帯/安全区/難民区に逃げ込んだ中国国民党軍兵士たちは、最初は安全区国際委員会に求められて、やがては自分から求めて同委員会に武器を引き渡した。つまり国際委員会が彼らを武装解除したのだ。

…車が角を曲がって、いくつもの民間人の死者が横たわる上海路に入ると、前方から日本軍が進入して来る。ドイツ語を話す軍医のいる日本軍の一部隊から知らされたところでは、日本軍の大将に会えるのは明後日になる見込みだという。その日本人部隊は北に向かって進軍しているので、私たちは自動車をビュンビュン飛ばして先回りをし、3部隊合計600人の中国兵を武装解除することによって救出する。武器を捨てろという勧告にすぐに従わない者も中にはいるが、それでもやがて押し寄せる日本軍が遠くに見えてくると、踏ん切りを付けてそうする。私たちはその後この人たちを外交部と最高法院に宿営させる。

 当委員会の二人の委員がさらに車を走らせると、鉄道部付近で別の中国兵400人の集団に行き合う。私たちはやはり彼らにも呼び掛けて武器を捨てさせる。

 どこかから私たちは銃撃される。ピュンピュンと音はするばかりで、弾丸がどこから飛んで来るのか分からないが、やがてカービン銃を振り回す中国軍の騎兵将校を発見する。ことによると彼は私たちの処置に同意できなかったのかも知れない。その人の立場からするとそれは間違っていなかったのかも知れないことは認めざるを得ないが、私たちもこうするしかなかったのだ! もしここ、区域の境界で市街戦にでもなれば、逃走する中国兵が安全区に退却することは疑いなく、すると安全区は非軍事化されていないことになるから、ことごとく破壊されるまで激しい砲火に曝されるだろう。

 完全に武装解除されたこの部隊には、日本軍から捕虜として扱われる以外の危険は及ばないだろうと、私たちはまだ期待していた。私たちを撃った将校がどうなったか私は知らない。私はただ私たちの自動車整備士であるオーストリア人のハーツさんが彼からカービン銃を奪い取るのを見ただけだ。

 …Wir biegen in die Shanghai Lou ein, in der verschiedene tote Zivilisten liegen und faren nun den einrückenden Japanern entgegen. Eine japanische Abteilung, mit einem Deutsch sprechenden Arzt, teilt uns mit, daß der japanische General erst in drei Tagen erwartet wird. Da die Japaner nach Norden marschieren, sausen wir im Auto auf Umwegen an ihnen vorbei und retten drei Abteilungen von insgesamt 600 chinesischen Soldaten dadurch, daß wir sie entwaffnen. Einige wollen der  Aufforderung, ihre Waffen fortzuwerfen, nicht gleich nachkommen, entschließen sich dann aber doch dazu, als sie die Japaner in der Ferne anrücken sehen. Wir haben diese Leute dann im Außenministerium und High Court untergebracht.

 Zwei von uns Komitee-Mitgliedern fahren weiter und treffen beim Eisenbahnmisterium auf eine andere Gruppe von 400 chinesishen Soldaten, die wir ebenfalls veranlassen, ihre Waffen abzulegen.

 …Wäre es hier, an der Grenze der Zone, zu einem Straßenkampf gekommen, so hätten die fliehenden chinesischen Soldaten sich zweifellos auf die Sicherheitszone zurückgezogen, die dann, weil nicht militärfrei, von den Japanern stark beschossen, wenn nicht gar ganz zerstört worden wäre.

 So blieb uns immer noch die Hoffnung, daß diesen volkommen entwaffneten Truppen keine andere Gefahr mehr drohen könne, als etwa die, von den Japanern als Kriegsgefangene behandelt zu werden. Ich weiß nicht, was aus dem Offizier, der aus uns schloß, geworden ist. Ich sach nur noch, daß unser Automechaniker, der Österreicher Herr Hats, ihm den Karabiner entriß.

(国際委員会主席ジョン·ラーベの日記、12月13日)

https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2020/12/16/020427

 このように、中国兵の武装解除は最初、安全区国際委員会側からの求めによって行われた。それは武装したままの国民党軍部隊が安全区内に退却することによって安全区が戦場になることを避けるためだった。

 この武装解除部隊は、帝国日本軍への投降を待って部隊の組織を保ったまま、そして恐らくは軍服を「便衣」=平服に着替えることもなく、まとまって官庁の建物に収容された。

 しかしやがて国民党軍が総崩れとなり、兵士たちが烏合の衆と化すにつれて、今度はばらばらの兵士たちが国際委員会本部へ詰めかけ、向こうから武装解除を求めて来るようになる。

 委員会本部に引き返すと玄関前に大きな人だかりを見る。もはや揚子江の対岸へ逃げることができなくなった大勢の中国兵がやって来たのだ。彼らは私たちに武装解除してもらうと、区域のどこかへ姿をくらました。シュパーリングが真剣で厳格な顔をし、マウザー拳銃を─とは言え弾は一発も入っていないのだが─手にして正面玄関に立ち、武器がきれいにきちんと積み重ねられ数えられるように目を光らせる。私たちは後でそれを日本軍に引き渡すつもりだからだ。

 Zu unserem Hauptquartier zurückgekehrt, find lch am Eingang ein großes Gedränge. Es hat sich auch hier inzwischen eine große Anzahl von chinesishen Soldaten eingefunden, die nicht mehr über den Jangtsekiang entweichen konnten. Sie haben sich alle von uns entwaffnen lassen und sind dann in der Zone irgendwo untergetaucht. Sperling steht mit sehr ernstem und strengem Gesicht am Haupteingang, die ─ allerdings volkommen entleerte ─ Mauserpistole in der Hand, und achtet darauch, daß die Waffen schön säuberich aufgeschichtet und gezählt werden, da wir sie später den Japanern übergeben wollen.

(同)

https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2020/12/16/020427

 この場会も中国兵はどこかに武器を捨てて安全区に忍び込んだのではなく。堂々と安全区国際委員会本部に出頭して、武器を手離したことの確認を受けた上で、難民の群のなかに、自らも難民の一人となって姿をくらましたのである。

 国際委員会から侵攻軍の最高司令官にあてた手紙は、この武装解除を以下のように説明し、彼らを解放する許しを求めている。

 昨日の午後、多数の中国兵が市の北部に閉じ込められるという予期せぬ事態が展開しました。その何人かは私たちの事務所にやって来て、人道に基づいて我々に救命を嘆願しました。委員会の代表者たちは貴司令部を探し出そうとしましたが、漢中路で一人の大尉を見つけたに過ぎませんでした。そこで私たちはその兵士たちをみな武装解除して区域内の建物に収容しました。この男たちを彼らの欲する平和な市民生活に復帰させることに情け深い許可をいただきたい。

(12月14日付、南京の日本軍司令官への手紙)

https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2021/02/15/220746

 前夜書かれたこの手紙が朝日本語に翻訳された12月14日のうちに、武装解除兵の連行·殺害(彼らは何も罪を犯していないのだから「処刑」とは言えない)が始まった。

 Aus dem Justizgebäude, in welchem wir etwa tausend entwaffnete Soldaten untergebracht haben, wurden an die 400 bis 500 Leute gefesselt davongetrieben. Wir nehmen an, daß sie erschossen wurden, da wir später verschiedene MG-Salven hörten. Wir sind starr vor Entsetzen über dieses Vorgehen.

 私たちが武装解除した兵士たちを1,000人ほど収容した裁判所からは、およそ400人から500人が縛られて駆り出された。後で機銃掃射の音が何度かに分けて聞こえてきたから、彼らは銃殺されたものと思る見られる。この処置に私たちは恐怖に凍り付く。

(ラーベの日記、12月15(14)日)

https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2020/12/18/003132

 拘束され連行されて銃殺されたのは、最初に部隊ごと武装解除に応じ、最高法院に収容されていた兵士たちだ。平服に着替えて難民のなかに紛れ込んでいたわけでも、武器を隠し持って日本兵を狙撃しようとしていたわけでもない。彼らは「便衣隊」ではない。

 そして翌15日には、もっぱら武装解除兵の処置の問題について次のように訴える手紙が帝国日本大使館福田篤泰外交官補あてにかかれた。

 南京安全区国際委員会は武器を投げ捨てた兵士たちの問題にひどく困惑しています。初めから委員会はこの区域から中国軍兵士を完全に締め出すことに努め、十二月十三日、月曜の午後まではこの点でかなりの成功を収めていました。そのとき何百人もの兵士が北側の境界線から安全区に近づいたり立ち入ったりして、私たちに助けを懇願ました。あなたたちを保護することはできないと委員会は率直に彼らに告げました。しかし彼らにこうも言いました。あなたたちが武器を棄て、日本軍への抵抗をすっかりやめれば、日本軍はあなたたちを情け深く扱うだろうと思うと。

 その夕の混乱と大慌てのなかで、委員会は武装解除された兵士たちを一般市民と切り離すことができませんでした。なぜならなにより兵士たちの一部は軍服を脱ぎ捨てていたからです。

 兵士と確認された人たちを捕虜にするのは適法であると委員会は認識しています。しかしそれらの武装解除された兵士たちを取り扱うにあたって、日本軍が一般市民を巻き添えにしないことを委員会は希望します。さらにまた、捕虜に関する公認された交戦法規に従い、そして人道的理由に基づき、日本軍がこれらの元兵士たちに情け深く対処することを委員会は希望します。彼らは労務者として活用できるでしょうし、市民生活に復帰できれば喜ぶことでしょう。

 The International Committee for Nanking Safety Zone is Very much perplexed by the problem of soldiers who have thrown away their arms.  From the begining the Committee strove to have this Zone entirely free of Chinese soldiers and up to the afternoon of Monday, December 13, had achieved considerable success success in this respect.  At that time several hundred soldiers approached or entered the Zone through the northern boundary and appealed to us help.  The Committee plainly told them that it could not protect them.  But we told them that if they abandoned their arms and all resistance to Japanese, we thought the Japanese would give them merciful treatment.

 In the confusion and haste of that evening, the Committee was unable to keep the disarmed soldiers separate from civilians, particularly because some of the soldiers had abandoned their military clothing.

 The Committee fully recognizes that identified soldiers are lawful prisoners of war.  But in dealing with those disarmed soldiers, the Committee hopes that the Japanese Army will use every precaution not to involve civilians.  The Committee further hopes that the Japanese Army will in accordance with the recognized laws of war regarding prisoners and for reasons of humanity exercise mercy toward these former soldiers.  They might be used to good advantage as laborers and would be glad to return to civilian life if possible.

(福田氏への手紙、12月15日)

https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2021/02/17/152917

 武器を棄て抵抗をやめた兵士たちは捕虜として保護するのが、人道と交戦法規に従ったやり方だというのか国際委員会の認識であり、国際委員会はそうすることを帝国日本軍に求めたのである。

 それから「兵士たちの一部は軍服を脱ぎ捨てていた」とあるが、これは残りの兵士たちは軍服を着ていたということである。

 この日、14日の手紙の要求項目に対する回答が帝国日本軍の将校から口頭で国際委員会に伝えられた。国際委員会側が記し覚え書きによれば、武解除兵士の処置に関する帝国日本軍の回答は次の通りだ。

一、市内の中国兵を捜索しなければならない。

三、人民はなるだけ早く自宅に帰るべきである。それゆえ区域内を捜索しなければならない。

四、日本軍は武装解除された中国兵に人道的姿勢で対処するから委せてほしい。

1.  Must search the city for Chinese soldiers.

3.  People should return to their homes as soon as possible; therefore, we must search the Zone.

4.  Trust humanitarian attitude of Japanese Army to care for the disarmed Chinese soldiers.

(特務部長との会見の覚え書き、12月15日昼)

https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2021/02/18/114118

 帝国日本軍側が飽くまで中国兵の捜索を主張しながら、安全区に逃げ込んだ中国兵を武装解除されたものと認識し、また彼らを捕らえた後、人道的に対処すると言わざるを得なかったことは注目されよう。交戦法規に基づいてと言わないのは、交戦法規に基づく行動や発言をすると「事変」ではなく「戦争」と認めたことになるからそうするなという陸軍省の指示に従ったものであって、口には出さないけれどもハーグ陸戦規則に基づき捕虜として人道的に扱うというのがその真意だ。当時の南京の軍司令部は、現代のネトウヨ歴史否認主義者の様こに、安全区に逃げ込んだ中国兵たちを「便衣隊」すなわち武器を隠し持って難民に紛れ込み日本兵を襲う「私服狙撃者」とは見なさなかったし、軍服を着ていないこと自体が国際法違反で死刑に値する重罪だとか、彼らを殺していいなどどは主張しなかったのである。

 これが昼の話で、次の事態は昼過ぎの話だ。

 あいにく私は午後の訪問者たちを取り逃がす。武器を棄てて私たちの区域に逃げ込んだ元中国兵の一部を、一隊の日本兵が連行しようとするからだ。その逃亡者/難民たちを解放しても、もう戦うことはないはずだと、私は保証する。私たちの委員会本部事務所に帰り着いくやいなや、ボーイが悪い知らせを持ってやって来る。日本兵が引き返して来て、今度は1,300人の逃亡者/難民を拘束したというのだ。私はスマイズとミルズを伴って、再びこの人たちを自由にしようとするが、無駄に終わる。彼らは約100人の武装した日本兵に取り囲まれ、縛られて、銃殺のために連行される。

 スマイズと私はこの人たちのことをお願いするため福田のもとへもう一度車を走らせる。彼は出来る限りのことをすると約束するが、あまり期待できない。この人たちを処刑すると日本軍への労務者調達が困難になることに注意を促す。福田もそれには同意して明日まで期待して待てと言う。私は全く惨めな気持ちなる。人々が獣の群の様に追い立てられるのを見るのはつらい。だが済南府の中国軍もまた2,000人の日本兵捕虜を銃殺したとかいう話だ。

 Leider verpasse ich die Besucher am Nachmittag, da eine Kolonne japanischer Soldaten einen Teil der früheren chinesischen Soldaten, die ihre Waffen fortwarfen und in unsere Zone flüchteten, abfüren will. Ich verbürge mich dafür, daß die Flüchtlinge nicht mehr kämpfen werden, worauf man die Leute befreit. Kaum bin ich wieder im Büro unseres Komitee-Hauptquartiers angelangt, als der Boy mit der Hiobsbotschaft kommt, die Japaner seien zurückgekehrt und hätten nunmehr 1300 Flüchtlinge gefesselt. Ich versuche mit Smythe und Mills vergebens, die Leute wieder freizubekommen. Sie werden von etwa 100 bewaffneten japanischen Soldaten umringt und gefesselt abgeführt, um erschossen zu werden.

 Smythe und ich fahren noch einmal zu Fukuda, um für die Leute zu bitten. Er verspricht, sein Möglichstes zu tun; aber unsere Hoffnung ist gering. Ich mache darauf aufmerksam, daß ich Schwierigkeiten haben werde, Arbeiter für die Japaner zu beschaffen, wenn man die Leute hinrichtet. Fukuda gibt das zu und vertröstet mich auf morgen. Mir ist ganz elend zu Mute. Es ist hart, die Leute wie die Tiere fortgdtrieben zu sehen. Aber man sagt, daß die Chinesen in Tsindnfu auch 2000 japanische Gefangene erschossen hätten.

 覚え書きに記された昼の士官の「日本軍は武装解除された中国兵に人道的姿勢で対処するから委せてほしい」という説明とは裏腹に、捕らえられた武装解除兵は直ちに銃殺のために引き立てられて行った。

 彼らはラーベに言わせると「元兵士」である。そしてラーベは帝国日本軍から命からがら逃げる彼らを、安全区に避難した民間人と同じ名で呼ぶ。»Flüchtlinge« =「逃亡者/避難民」と。

 彼らが殺されるのは武器を取って抵抗したからでも、武器を隠し持って日本兵を狙撃する可能性があるからでもない。南京侵攻日本軍は「敗残兵」を捕虜にせず「捕捉·殲滅」する方針を取っており、「敗残兵」が武器を捨てていようと無抵抗であろうと、日本兵はとにかく彼らを捕まえて殺さなければならないのだ。

一、敵は南京城内に於て頑強に抵抗を続けつつあり。
二、集団は南京城内の敵を殲滅せんとす。
三、丁集作命甲第56号第9項の制限を解く。
四、各兵団は城内に対し砲撃は固より有らゆる手段を尽し敵を殲滅すべし。
之が為、要すれば城内を焼却し、特に敗敵の欺瞞行為に乗せられざるを要す。

         丁集団司令官 柳川平助

(12月13日午前8時30分、第10軍作戦命令)

↑第10軍作戦指導に関する参考資料 其3(3)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C11111743700 p.19-p.20

 以下は上海派遣軍。

(一)敵は全面的に敗北せるも、尚抵抗の意志を有するもの散在す。

(二)旅団は本十四日、南京北部城内及び城外を徹底的に掃蕩せんとす。

(三)歩兵第三十三連隊は……を掃蕩し、支那兵を撃滅すべし。

(四)歩兵第三十八連隊(第二大隊欠)は……を掃蕩し、支那兵を撃滅すべし。

(五)歩兵第三十八連隊第二大隊は……を掃蕩し、支那兵を撃滅すべし。

(六)各隊は師団の指示ある迄俘虜を受付くるを許さず。

            支隊長 佐々木少将(歩兵第30旅団命令 12月14日午前4時50分)

↑南京城内戦闘詳報 第12号 歩兵第38連隊

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C11111200500

 16日から安全区の掃討に当たった歩兵第7連隊。

 青壮年はすべて敗惨[→残]兵または便衣隊と見なし、すべてこれを逮捕·監禁すべし。
 青壮年以外の敵意なき支那人民、特に老幼婦女に対しては寛容これに接し、彼等をして皇軍の威風に敬仰せしむ。

(掃蕩実施に関する注意 12月13日 第6旅団)

https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2020/09/19/144149

「青壮年はすべて敗残兵または便衣隊と見なし」の所に注意! 「敗残兵または便衣隊」ということは「敗残兵=便衣隊」ではないということだ。つまりここで「便衣隊」と呼ばれているのは、軍服を脱いだ正規兵のことではなく、武器を隠し持って日本兵を襲うかもしれないと疑われた民間人のことだ。青年や中年の男性は「軍服を脱いだ正規兵」か「日本兵を襲う可能性のある民間人」のどちらかとみなし、すべて逮捕·監禁しろと言っている。

一、本15日まで捕獲したる俘虜を調査せしところによれば、ほとんど下士官·兵のみにして、将校は認められざる情況なり。
 将校は便衣に更へ、難民地区内に潜入しあるがごとし。

ニ、連隊は明16日、全力を難民地区に指向し、徹底的に敗残兵を捕捉·殲滅せんとす。

 憲兵隊は連隊に協力するはず。

              連隊長 伊佐大佐

(歩兵第7連隊命令 12月15日午後8時30分)

https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2020/09/19/144149

 このとおり12月16日の安全区掃蕩作戦は「便衣兵の剔出」ではなく「敗残兵の捕捉·殲滅」と位置付けられていた。

 軍服を脱いで民間人の中に潜伏し日本兵を襲う機会を窺う「便衣兵」も、それを「剔出」する帝国日本軍も、ネトウヨの頭の中にしか存在しない。